生活保護スレスレの生活を3年も送ったあの頃カードローンは救世主だった

“私はもともと東京で働いていましたが、病気の父親の介護のために地元に戻ることになりました。父親は独居で67才。最後の親孝行になるかもしれないと思い、仕事を辞めて戻ったのです。父親は県営アパートに住んでいました、家賃が2万円と安かったのでしばらくは貯金を切り崩して生活していました。しかし1年もすると本格的な金欠状態になりました。
父親を老人ホームに入れるお金もないので自宅介護が必要です。幸い認知症は発症していなかったので、最低限の生活はできますが買い物や病院の送り迎えなどには私は付き添う必要がありました。
短時間でできる仕事を探そうと思い立ちましたが、田舎なのでなかなかありません。仕事自体が少ないのと給与が低すぎるのです。
家賃以外の生活費を月8万に抑えていましたがそれすらも稼ぐのが厳しい状態でした。
そこで私はアルバイトを掛け持ちすることにしました。ドトールを週3日、本屋を週3日シフトを入れてなんとか生活費を稼げるようになったのです。父親に必要なオムツは同じく親を介護する友人から分けてもらったり、お米も分けてもらったりもしました。ぎりぎりの生活を奥ていたので本当に助かりました。食事やオムツ代は最大の出費要因なので、それらが浮くとかなり楽になります。
そして通信費も削るようにしました。スマホを辞めて、パソコンだけにしました。2人で8000円しかかからなくなりました。今まで17000円くらい払っていたのが本当にバカバカしいです。金欠になったら真っ先に通信費を削ることをお勧めします。

カードローンでキャッシングをしたり借りられるお金は全部借りました。
経済的に苦しくなるととにかく気力がなくなります。何をするにもお金が必要なので、自分の行動に神経質になります。バス代も田舎は高いのでできるだけ歩くようにしました。30分程度の距離なら絶対に歩き、1時間くらいなら天気が良ければ歩きます。みじめじゃない、これは健康にいいことなんだと自分に言い聞かせて歩いていました。
友達にお金を借りたりはしませんでした。そんなことをすれば関係が壊れるし、街中で会うたびに気まずくなります。私はもっと貧困層を支援する政策を実施するべきだと思います。
気がつけばアコムやアイフルからも借りられるお金は無くなっていました。
地方議員や政治家はろくに労働をせずかなりの高給をもらっています。こんな不公平に何も声を上げないのが田舎の住民の気質でもあるので、田舎から貧困がなくなることはおそらく未来永劫無いでしょう。
趣味であるバイオリンはお金がかかるので止めました。趣味という趣味を辞めました。生活そのものに手一杯だからです。
1日2食になりました。栄養は意外と足りているようで健康でいられました。
そんな生活が3年も過ぎたころ父親が他界しました。そして私はまた東京に出てきて就職活動をすることになるのです。また自分の趣味を再開して旅行もしてアクティブに生活できることを目指しています。”